金曜カフェ「お金がない」

こんにちは!コーチ敬人です。

この3週間、事情により、金曜コーチングカフェをおやすみしています。

そこで、今日は、文章でのお答えです。

「お金がないので困っています。どうしたらいいでしょうか」

答えは、「もらう、借りる、稼ぐ」のどれかをすれば!ですね。

しかし、質問者は、こんな普通の答えを求めているのではないでしょうから、コーチング的な視点から話をしましょう。

私は、これまで、お金に関し、数多く相談をうけてきましたが、「お金がなくて困っているので助けてください」という人はいませんでした。

どの人も、「お金がない」のではありません。

お金がないというのは、大きなスコトマです。

実は、借金という「お金がある」場合がほとんどなのです。

そして、ないのは、「対価を得る交換のしくみ」だったりします。

お金については、ファイナンスで捉えることが大切です。

健康とファイナンスのゴールは似ています。

健康は身体各部位の機能を基にし、

ファイナンスは社会における自らの機能(資産)を基にした

「統合的な流れ」の状態なのです。

たとえば、食べたら、出す。エネルギーとして出すだけでなく、排泄としても出す必要があります。
下痢もつらいですが、便秘はもっとつらいものです。これは量は無関係です。

ファイナンスでもいっしょです。
「入」以上に「出」が大事です。

健康とファイナンスの違いは1点あります。

それは、身体各部位の機能のかかわりは生まれつき無意識に備わったものですが、
社会における自らの機能(資産)は、意識的に「対価を得る交換」をしなければ成り立たないことです。
ただし、これは誰でも慣れで身につけることができます。

借金といえば、

今週(2018年10月9日)、国際通貨基金(IMF)が世界金融安定報告で、政府や金融機関を除く、民間企業、
家計が抱える全世界の債務総額を公表しました。

つまり、全世界の借金総額です。

さて、いくらでしょう?

この報告書によると、

167兆ドル、日本円にして約1京9000兆円。

10年前のリーマンショック時と比べ、5割近く増えたと警告しています。

さて、この、債務、つまり借金ですが、金額だけみても、これが何を意味するのか、わかりません。

いいも悪いもいえないのです。

借金は、返済条件という但し書きがついているものの、借りた時点で増えて使える「あるお金」だからで
す。

お金は、交換を促す、エネルギーです。

ですから、借金が多いということは、交換のエネルギーが増している、ということを意味します。

借金分だけ、お金の流通量が増え、商品・サービスなどの交換に使われているはずだからです。

ただし、借金の増大が明るい未来につながるために、2つの点が重要です。

1点目は、その交換が、何と何の交換に使われているのか、という使い先です。

より長期的に、他人の悩みや苦しみをとりのぞき、自らの喜び・楽しさを提供する商品・サービスの交換 であれば、

それが促進されればされるほど、世の中は明るくなります。

一方、他人の喜び・楽しさを奪い、悩み苦しみを提供する交換であれば、

それが促進されればされるほど 、世の中は暗くなります。

代表が、争い・戦争のための道具・設備ですね。

2点目は、構造的な債務不履行の可能性です。

当然ですが、債権が発行され、そのお金が使われたとたん、その分お金の流通量は増えますが、

債務不履 行になった場合、なんらかの引き締めが行われます。

たとえば、債務不履行者は、資産の取り上げや収入の差し押さえにより、経済活動が制限されることにな ります。

ということは、交換者としての自由取引のポジションが著しく失われるわけです。

こうした人が構造的に同時に大量に生まれることは、個人としても嫌ですが、社会経済にも景気悪化という形で損失を与えます。

IMFの報告によれば、中国は企業や家計に過剰債務の懸念があると指摘されています。今後、中国マネーの引き締めが行われれば、取引量が減少する可能性があるわけです。

借金について個人にいえることが2つあります。

一つは、借金は、自らの直接的な消費のためにしてはならないということです。

借りたお金を使って、いい 生活をすればするほど返済できないからです。担保があればそれで返済すればいいですが、なければ自分の人生時間で返済することになります。

借金は、借りたお金を使えば使うほどお金が増える、つまり、返済できるものに使うべきです。

他者に対しサービス・商品を提供するために、企業や個人が融資を受けるのであれば、オッケーですね。

あとは、お金が増える時期と支払い金利の問題を考慮すればいいだけです。

そして、2つ目は、借金をしてつくりだしたサービス・商品を提供したら、必ず、それに見合った対価を設定し、 受け取る、ということです。

実は、商品対価を下げれば下げるほど、その商品・サービスの機能が劣ってしまいます。
製品機能は、実際に使われる機能とは、別なのです。
使う人は、作った人ではないため、そもそもうまく利用できません。もちろん、メンテナンスなど、よほどの高級品でなければしません。
(作った人はよく理解しているでしょうが、メンテナンスフリーの製品など、この世に存在しません。)
価格が安いと、多くの人は、その商品を価格分しか使いません。使わないのでは、機能は発揮できません 。ゴミとなります。

さらに、対価の支払いは、ファイナンスにも影響を与えます。対価を受け損なえば、サービス提供者自身 のファイナンスが悪化することは自明のことですが、そればかりではありません。
支払った顧客にも影響を与えます。

支払いをするとすっきりするという人は多いのではないでしょうか。

実は、支払いを受ける人は、支払った人のファイナンスの流れをよくしているのです。
たとえは悪いですが、健康でいえば、便秘に悩む人の排便を手助けしていることになります。
いうなれば、対価を受け取ることは、相手の悩み苦しみをお金とともに引き受ける、お金という情報空間の膿を流すという機能も果たしているとうことです。

ですから、はずかしがらずに、対価設定をし、受け取る、ということが大切です。

資本主義社会においては、

健康な体の中の、呼吸や消化と同じように

対価交換を、出入両面でバランスよく、上手に無意識に行えるように、最初は意識的にトレーニングする必要があります。

そのためには、エフィカシー(自己のゴール達成に対する自己能力の自己評価)を上げることが、まず、重要です。

(エッセイ)利己的なコーチは、いらない

「コーチ」について、2018コーチングサミット案内動画で、苫米地博士がそのものずばりのコメントをのべていらっしゃいます。

http://coachingsummit.jp/index.html

コーチとは、どんな存在ですか?
という質問に対して、

私は、「100%クライアントに対して、いい人」
と、答えることがあります。

つまり、クライアントに対して、100%利他的である、ということです。
コーチ自身の自己の利益のために、クライアントに不利益を与えるようなことは、1%もあってはなりません。

たとえば、コーチが、自分のチームの優勝のために、相手チームの選手を、自分のチームの選手につぶさせるということは、当たり前ですが、あってはならないのです。
選手は、コーチにとって、クライアント。
相手選手といえども、コーチにとっては、広い意味で、クライアントといえます。
「相手選手をつぶせ」と発言しているコーチは、自分のチームの優勝、もっといえば、コーチという自分のポジションのために命令しているわけで、100%利他的であるはずのコーチという役割から完全にはずれています。

さて、「大切な人を守るために、その大切な人に攻撃を加える人に対して不利益を与える方法を教えて欲しい」と、クライアントからコーチが頼まれたとします。
コーチはなんと答えるでしょうか。

もちろん、答えはノー。

まず、第一に、
クライアントはクライアントですが、クライアントにとっての大切な人は、その現時点でクライアントではありません。本当に不利益を与えているのか、確かめようがありません。もちろん、クライアントにとって大切な人に危害を加えているという人も、現時点でクライアントではありません。
ですから、わざわざそのような、第三者に対する働きかけをするのは、やりすぎです。

さらにいえば、その第三者は、コーチにとって、将来、クライアントになる可能性があるわけです。
とすると、わざわざ毒を盛って、そのあと治療する、マッチポンプ悪徳医師を演じていることになります。

そして、第二。
これが重要ですが、広く他人に不利益を与えるような働きかけをするのは、コーチの仕事ではない、という理由です。
他人に不利益を与える行為を行えば、必ずその不利益は、行為を行った人にふりかかります。
結果的に、クライアントに対して、不利益を生じさせることになります。

そんなことをコーチがしていいはずはありません。

「(おまえの)チームのため」
「(おまえの)監督のため」
「おまえのため」
と命じることで、

結局、相手選手をつぶした選手は、
「自分のチーム」
「自分の監督」
「自分の選手生命」
までもつぶすことになるのです。

あらゆるスポーツにいえることですが、スポーツマンシップは大切です。
スポーツマンは、そのスポーツを愛してやまない人。
自分のため、とか、相手をつぶす、というのは、全く別の世界のお話です。

そして、これは、スポーツに限らぬことなのです。

さて、先月行われました、「ワークワークス」。
養生功を中心に行っていますが、
目的は、「ゴール達成できる体とマインドづくり」

利他的な活動をするには、自分の心体の調整は、まず、大切です。
重い心体が軽くなる。
ご興味ある方は、こちらまで。

https://peraichi.com/landing_pages/view/workworks

(エッセイ)レッドカードと謝罪による復帰

こんにちは。
コーチ敬人です。
今日は、コーチングサミット準備講座をおやすみさせていただいて、エッセイです。
明日、第6回を公開しますので、お楽しみに。

さて、このところ、関東地方は雨が続いたり、群馬や大阪で地震が起きたりしています。
そこで、「何かの前兆なのでしょうか」とか「いよいよ東京にも地震がくるのでしょうか」といった声を聞くのですが、
こんなときに、科学的視点というのは、とても大切です。そして、御用学者の言うことは、聞いてはなりません。

御用学者の定義は、単純です。
それは、学者という肩書きを利用して、雇い主の都合のために、科学的知見に反することをいったり、わざと情報を流さない人、です。
つまり、学者といいながら、科学という領域を踏みにじる人々です。

そういうことをする人は、学者として、一発退場レッドカード。
つまり、そもそも「御用学者」という学者は存在してはならないのです。

話はとびますが、
昨日のサッカーWカップ日本対コロンビア戦では、開始早々、コロンビア選手がペナルティーエリア内でハンドを犯し、一発レッドカード退場の上、PK。これが尾をひいて、日本は南米チームに対してWカップ初勝利をおさめました。

私も、何度か映像を見ましたが、はたしてこのハンド、意図的か、当たってしまったのか、判断がつきずらい。
しかし、サッカーは足でボールを蹴るスポーツ。手で扱うのはラグビー。
そうした枠組みがあって、はじめて成り立つスポーツなのです。
ですから、ペナルティーエリア内でのシュートへのハンドは、一発退場でよいのです。

すべての社会的ルール、そして社会的存在には、枠組みが存在します。
コンセンサスが存在します。
その枠組み、コンセンサスがなし崩しになると、その社会は存在しえなくなります。

科学が科学でなくなり、
サッカーがサッカーでなくなってしまうのです。

絶対的尺度としての善悪や良し悪しというのは、究極的にいえば、この世に存在しません。
それゆえ、科学者という枠、サッカーという枠、といったようにそれぞれの目的ごとに領域を設定し、それを超えることなく、それぞれが活動しているわけです。
もし、この枠を超えるのであれば、善悪良悪云々以前に、その肩書きを語ってはなりません。

さて、話は戻りますが、
「地震は予知できる」と発言するならば、それは、科学者とか学者というポジション、肩書きは捨てるべきです。それは、占い師の領域ですから、占い師という肩書きをつけるべきです。
「手でボールをコントロールする」のなら、それは、サッカーのフィールド選手をやめて、キーパーかラグビー選手になるべきなのと、同じです。

ちなみに、火山の噴火サイクルや、地震のサイクルによる予測は、「予知」ではありません。単なる、過去のデータからいえる予測にすぎません。
はっきりいって、地震や噴火は、いつ起こるのか、は、わからないのです。
ただいえることは、日本は、世界有数の火山国であり、地震国だということです。
その知見を利用して人をおどしたり、その知見を無視してものごとを行人は、この日本という国土に住む人間として、レッドカードまでいかなくとも、少なくともイエローカードだと私は思うのです。

イエローカード(警告処分)やレッドカード(退場処分)をもらっても、もう一度、プレーしたかったら?
まずは、領域(ルール)に対する認識を明確にし、領域外の行為を行ったことを認めることが、必要不可欠です。

イエローカードの意味は、もう一回イエローカードをもらわなければいい、という意味ではありません。
レッドカードの意味は、次の試合でなければ、その次の試合にでれる、という意味ではありません。

領域(ルール)を再認識し、領域外のことをしたと認めるならば、
イエローカードを受けた選手は、プレーを続行していい、という意味であり、
レッドカードを受けた選手は、一試合の出場停止のあと、試合にでれる、という意味です。

先月、「コーチ」という肩書きをもつ者による不適切な事件がおきました。
コーチにも、コーチという領域があります。
その領域を超えるようなことがあったら、コーチという肩書きを語ることはあってはならないのです。
過去にいい結果を残していたとか、一生懸命やっていた、といったこととは、無関係なのです。

もちろん、コーチも人間ですから、過ちは起きます。
その場合は、領域外のことを行ってしまったということを認め、謝罪することが、第一歩となります。
すくなくとも、同業コーチや、コーチの元で活動する者からの質問には、ストレートに答えるべきです。
それなくしてコーチ復帰はありえない、というだけでなく、コーチという領域そのものへの不信感をぬぐえない、と私は考えます。