(エッセイ)利己的なコーチは、いらない

「コーチ」について、2018コーチングサミット案内動画で、苫米地博士がそのものずばりのコメントをのべていらっしゃいます。

http://coachingsummit.jp/index.html

コーチとは、どんな存在ですか?
という質問に対して、

私は、「100%クライアントに対して、いい人」
と、答えることがあります。

つまり、クライアントに対して、100%利他的である、ということです。
コーチ自身の自己の利益のために、クライアントに不利益を与えるようなことは、1%もあってはなりません。

たとえば、コーチが、自分のチームの優勝のために、相手チームの選手を、自分のチームの選手につぶさせるということは、当たり前ですが、あってはならないのです。
選手は、コーチにとって、クライアント。
相手選手といえども、コーチにとっては、広い意味で、クライアントといえます。
「相手選手をつぶせ」と発言しているコーチは、自分のチームの優勝、もっといえば、コーチという自分のポジションのために命令しているわけで、100%利他的であるはずのコーチという役割から完全にはずれています。

さて、「大切な人を守るために、その大切な人に攻撃を加える人に対して不利益を与える方法を教えて欲しい」と、クライアントからコーチが頼まれたとします。
コーチはなんと答えるでしょうか。

もちろん、答えはノー。

まず、第一に、
クライアントはクライアントですが、クライアントにとっての大切な人は、その現時点でクライアントではありません。本当に不利益を与えているのか、確かめようがありません。もちろん、クライアントにとって大切な人に危害を加えているという人も、現時点でクライアントではありません。
ですから、わざわざそのような、第三者に対する働きかけをするのは、やりすぎです。

さらにいえば、その第三者は、コーチにとって、将来、クライアントになる可能性があるわけです。
とすると、わざわざ毒を盛って、そのあと治療する、マッチポンプ悪徳医師を演じていることになります。

そして、第二。
これが重要ですが、広く他人に不利益を与えるような働きかけをするのは、コーチの仕事ではない、という理由です。
他人に不利益を与える行為を行えば、必ずその不利益は、行為を行った人にふりかかります。
結果的に、クライアントに対して、不利益を生じさせることになります。

そんなことをコーチがしていいはずはありません。

「(おまえの)チームのため」
「(おまえの)監督のため」
「おまえのため」
と命じることで、

結局、相手選手をつぶした選手は、
「自分のチーム」
「自分の監督」
「自分の選手生命」
までもつぶすことになるのです。

あらゆるスポーツにいえることですが、スポーツマンシップは大切です。
スポーツマンは、そのスポーツを愛してやまない人。
自分のため、とか、相手をつぶす、というのは、全く別の世界のお話です。

そして、これは、スポーツに限らぬことなのです。

さて、先月行われました、「ワークワークス」。
養生功を中心に行っていますが、
目的は、「ゴール達成できる体とマインドづくり」

利他的な活動をするには、自分の心体の調整は、まず、大切です。
重い心体が軽くなる。
ご興味ある方は、こちらまで。

https://peraichi.com/landing_pages/view/workworks

(エッセイ)レッドカードと謝罪による復帰

こんにちは。
コーチ敬人です。
今日は、コーチングサミット準備講座をおやすみさせていただいて、エッセイです。
明日、第6回を公開しますので、お楽しみに。

さて、このところ、関東地方は雨が続いたり、群馬や大阪で地震が起きたりしています。
そこで、「何かの前兆なのでしょうか」とか「いよいよ東京にも地震がくるのでしょうか」といった声を聞くのですが、
こんなときに、科学的視点というのは、とても大切です。そして、御用学者の言うことは、聞いてはなりません。

御用学者の定義は、単純です。
それは、学者という肩書きを利用して、雇い主の都合のために、科学的知見に反することをいったり、わざと情報を流さない人、です。
つまり、学者といいながら、科学という領域を踏みにじる人々です。

そういうことをする人は、学者として、一発退場レッドカード。
つまり、そもそも「御用学者」という学者は存在してはならないのです。

話はとびますが、
昨日のサッカーWカップ日本対コロンビア戦では、開始早々、コロンビア選手がペナルティーエリア内でハンドを犯し、一発レッドカード退場の上、PK。これが尾をひいて、日本は南米チームに対してWカップ初勝利をおさめました。

私も、何度か映像を見ましたが、はたしてこのハンド、意図的か、当たってしまったのか、判断がつきずらい。
しかし、サッカーは足でボールを蹴るスポーツ。手で扱うのはラグビー。
そうした枠組みがあって、はじめて成り立つスポーツなのです。
ですから、ペナルティーエリア内でのシュートへのハンドは、一発退場でよいのです。

すべての社会的ルール、そして社会的存在には、枠組みが存在します。
コンセンサスが存在します。
その枠組み、コンセンサスがなし崩しになると、その社会は存在しえなくなります。

科学が科学でなくなり、
サッカーがサッカーでなくなってしまうのです。

絶対的尺度としての善悪や良し悪しというのは、究極的にいえば、この世に存在しません。
それゆえ、科学者という枠、サッカーという枠、といったようにそれぞれの目的ごとに領域を設定し、それを超えることなく、それぞれが活動しているわけです。
もし、この枠を超えるのであれば、善悪良悪云々以前に、その肩書きを語ってはなりません。

さて、話は戻りますが、
「地震は予知できる」と発言するならば、それは、科学者とか学者というポジション、肩書きは捨てるべきです。それは、占い師の領域ですから、占い師という肩書きをつけるべきです。
「手でボールをコントロールする」のなら、それは、サッカーのフィールド選手をやめて、キーパーかラグビー選手になるべきなのと、同じです。

ちなみに、火山の噴火サイクルや、地震のサイクルによる予測は、「予知」ではありません。単なる、過去のデータからいえる予測にすぎません。
はっきりいって、地震や噴火は、いつ起こるのか、は、わからないのです。
ただいえることは、日本は、世界有数の火山国であり、地震国だということです。
その知見を利用して人をおどしたり、その知見を無視してものごとを行人は、この日本という国土に住む人間として、レッドカードまでいかなくとも、少なくともイエローカードだと私は思うのです。

イエローカード(警告処分)やレッドカード(退場処分)をもらっても、もう一度、プレーしたかったら?
まずは、領域(ルール)に対する認識を明確にし、領域外の行為を行ったことを認めることが、必要不可欠です。

イエローカードの意味は、もう一回イエローカードをもらわなければいい、という意味ではありません。
レッドカードの意味は、次の試合でなければ、その次の試合にでれる、という意味ではありません。

領域(ルール)を再認識し、領域外のことをしたと認めるならば、
イエローカードを受けた選手は、プレーを続行していい、という意味であり、
レッドカードを受けた選手は、一試合の出場停止のあと、試合にでれる、という意味です。

先月、「コーチ」という肩書きをもつ者による不適切な事件がおきました。
コーチにも、コーチという領域があります。
その領域を超えるようなことがあったら、コーチという肩書きを語ることはあってはならないのです。
過去にいい結果を残していたとか、一生懸命やっていた、といったこととは、無関係なのです。

もちろん、コーチも人間ですから、過ちは起きます。
その場合は、領域外のことを行ってしまったということを認め、謝罪することが、第一歩となります。
すくなくとも、同業コーチや、コーチの元で活動する者からの質問には、ストレートに答えるべきです。
それなくしてコーチ復帰はありえない、というだけでなく、コーチという領域そのものへの不信感をぬぐえない、と私は考えます。