現状の最適化の限界

練馬区の自宅で親による長男を刺殺した事件が起こりました。新聞報道によると、先月川崎市で起きた殺傷事件を踏まえ「川崎殺傷にならぬよう殺害」したといった趣旨の供述があったとのことでした。

人間社会は、様々な因果の中で、行動や結果が生まれます。

しかし、川崎殺傷事件のような結果を起こさないように長男を殺傷した、という論理は、社会的に許されるべきではありません。

この論理が通る社会になったとたん、あらゆる虐殺、死刑、戦争が正当化されてしまう恐れがあるからです。

 

話はそれますが、事件の裏には、たいてい何らかの「個人的な問題」があります。

問題は、その問題の解消の方法です。

問題解消、のためには、「現状維持」という発想を一度外す必要があります。

現状の中で問題を解決するには、問題の発生源を消すか、なかったことにするしかありません。

「現状維持のために、問題をなかったことにする」が問題解決につながらないことは、誰の目にも明らかです。

それは、問題の先延ばしにすぎません。

では、「問題の発生源を消す」ことで問題は解決するのでしょうか。

実は、これも一時的な問題解決にみえるものの、問題解消にはつながりません。

そればかりか、問題と現状とは強い因果で結ばれており、必ず「維持したい現状」にも大きな喪失的な変化をもたらしてしまいます。

問題解消に必要なのは、「問題の発生源を消す」のではく「問題が消える」ことです。

「問題が消える」ためには、「現状維持」という目的ではなく、「現状をどう変えたらよいか」という現状から外れた視点が必要です。

そして、現状からはずれたありとあらゆる試行錯誤、ありとあらゆる努力、現状から外れたありとあらゆるゴールが不可欠です。

ですから、一時的な問題解決ではなく、問題解消を求めるならば、「ありとあらゆる」の中に、「消す」「消えたことにする」という選択肢を認めてはなりません。

私たちの、多くの個人的な問題で求められるのは、一時的な問題解決ではなく、問題解消であることを認識すべきです。