金曜カフェ 生きるために生きるのか、何かのために生きるのか

こんにちは!

金曜カフェのユーチューブ動画、事情により、4週連続休みです。
来週は、動画アップできそうですので、お楽しみに。

というわけで、今週も、文章での質問へのお答えです。

質問は、「何のために生きているのか、わからなくなっています。どうしたらいいでしょうか。」

実は、私もかれこれ10年くらい前に、同じような経験をしています。

当時、1年ほど無職のあと、再就職をした時期だったのですが、

再就職先の仕事がうまくいかず、

6ヶ月で辞めた頃のことです。

再就職する元気もなく、

「何のために生きているのだろう」

という問いが頭の中をぐるぐる回っていました。

しかし、私にとって、この問いは、人生を変える転機となりました。

忘れもしない2008年6月18日、苫米地博士の著書『「脳と心の洗い方』に出会い、

その後、ルータイスのブログラムを受けるチャンスを得たからです。

実は、それまでの私は、

「お金のため」

「生活のため」

に長時間労働していました。

この頃の「お金のため」「生活のため」は、

「生きるため」と言い換えることができます。

しかし。

実際、私は、すでに生きていました。

そして、

苫米地博士の著書にあるとおり、

社会保障制度の発達した現代の日本において、

「生活苦」で死ぬことなどありえません。

つまり、

「生きるために生きる」ことは、

もはや不要なはずなのです。

にもかかわらず、なぜ、私は

「生きるために生きる」ことを無理やりやり続けていたのでしょうか。

それは、

「稼ぐために稼ぐ」

のと同義です。

つまり、現状のために現状をつづける、

これを、奴隷といいます。

実は、

自分で「現状を変える〜のため」をもてていないときには、

現状を支配している権力者である

誰かのために生き、

誰かのために稼いでいるのです。

それは、

親のためだったり、

夫のためだったり、

妻のためだったり、

権力者のためだったりします。

現状を変える

「〜のために生きる」

「〜のために稼ぐ」

を自分で設定して生きる時、

未来をはじめて自分のものとすることができます。

明るい未来、

わくわくする未来、

それは、

一人一人の人が

自分で決めた

現状を変える〜のために、

生き

稼ぐ

ときに生まれます。

「何のために生きているのだろう」

それは、

誰かに聞くことでも

探すことでもありません。

自分で設定するものです。

いつ変えてもかまわないので、

仮でいいので、

自分で

現状の外側のゴールを設定する。

ここから

輝ける未来は

スタートします。