社会に適合する

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私は、「自分は社会不適合者だ」と、感じたことがたびたびありました。

最初に感じたのは、小学校の2年生のときでした。

クラスになじめず、いろいろなあだ名をつけられました。

当時、頭が大きくて体が細かったため、

「お月さん」

「マッチ」

いつも考え事をしていたため、友達に

「ノウルス(脳留守)」

こんなあだ名をつけられ、

それを見かねた学級担任の富永先生が

学級会の議題にしました。

さんざん議論(といっても小学校2年生ですが)したあと、

「林君はどう思っていますか」

と質問されました。

実は、私が議題になっていたにもかかわらず、その間中、考え事をしていたのですが、

本心で、

「別にいいです」

と答え、学級会は閉会となりました。

妙にしらけムードで、罪悪感さえ覚えました。

今思えば、

常に考え事をしていたのが、

小学校クラス社会になじんでいなかった原因でした。

さて、その考え事とはなんだったのかと言いますと、

「人間は死んだらどうなってしまうんだろうか」ということでした。

4歳の12月に大好きだった祖父が亡くなり、

小学2年生のときに大切に飼っていたミドちゃん(みどりガメ)が死んでしまい、

今までいた(生きていた)ものが存在しなくなるというのが、

純粋に不思議だったのです。

では、どうやってそこから抜け出したのかというと、

サッカーでした。

3年生の9月2日(日)に、地元のサッカー少年団に入団して、

夢中になってから

すーっと小学校社会に、溶けこむかのように、「戻ってきた」感じで適合しました。

グランドの様子とともに、その感覚は今でも脳裏に残っています。

私にとって、大好きで追っかけまわしていた何かが失われた時、

私の中にぽっかりと穴があき、

そのかわり、「亡き者について考える」という思考がその穴を埋めていました。

追っかけていた何かを失い、自分という社会が、崩壊したとき、

そこに、失った何かについて考えるという状態が生まれます。

失った何かについて考えていると、

目の前にある現実社会から、隔離されるのです。

私は、私という社会が崩壊したまま、時間だけがすぎていきました。

私という社会が崩壊したままだと、

家族、学校、地域といった社会からも、隔絶した状態になります。

考え事をして、周りから見るとぼーっとしている、まさに、「脳留守」君になってしまうのです。

私は、祖父が大好きでした。

祖父は、趣味人で、いっしょにいると飽きることがありませんでした。

日本庭園をつくるのが趣味で、

よく多摩川に石を拾いにいきました。

カメラが好きで、

家に現像室がありました。

動物を飼うのが好きで、

さるも飼っていたことがあったそうです。

祖父がなくなってから、私も動物を飼うのが好きになり、

最初に飼ったのが、ミドリガメでした。

死んだ時は、ショックでした。

それから、私は、「脳留守君」になってしまいました。

あなたには、大好きなものがありますか?

他人が何と言おうと、

他人の役に立とうが立つまいが重要で大好きで追っかけまわしていること、

それが、「趣味」です。

趣味とは、「味を一度しめたら、走ってでも取りにいく」と書きます。

人間にとって、

自分だけの社会、最小ユニットの社会、その構成要素が

「趣味」です。

「趣味」が自分という最小ユニットの社会をつくっています。

私は、祖父が大好きでした。

それは、晩年で趣味ごとに没頭していた祖父の姿でした。

私は、暇さえあれば祖父の後ろを追っかけまわし、祖父の横で真似事をしていました。

祖父は、コワイ人でしたが、趣味に没頭しているときは、なんとも楽しそうで近寄ることができました。

多分、私が大好きな祖父とは、趣味に没頭していた祖父だったのです。

私は、カメだけでなく、インコ、めだか、犬といった具合に動物を飼いましたが、

どれも本当に大好きでした。いつもいっしょにいる気分でした。

学校が終わると、走って帰っていました。

小学生ながら、わたしにとっては、趣味でした。

サッカーに没頭するようになって、

やはりそれも趣味でした。

朝晩サッカーボールを追っかけていて、

当時「キャプテン翼」という漫画が流行り始めた頃なのですが

まるで自分のことのように感じました。

サッカーボールさえあれば友達ができました。

サッカーのいいところは、死んだりいなくなったりしないところでした。

社会人になって、

最初の職場をやめたとき、

趣味を忘れていました。

趣味を仕事にしようと思ったときには、

社会からドロップアウトした感覚に襲われました。

妻と結婚し、

「趣味は仕事で成功してから」と、二の次にすることを決心したとたん

体調がおかしくなりました。

「自分」という社会に趣味は不可欠です。

そして、趣味は、自分が追いかけ続ける限り

決してなくならないものがよいのです。

もちろん、複数あっていいのです。

自分という社会は、

家族、地域、国、会社、学校、その他ありとあらゆる社会の

基盤となります。

自分という社会に不可欠なのが、

趣味です。

大好きで大好きで、

他人の役には立たずに、

他人には依存せずに、

いつまでもおっかけられるものが

人間の社会性には不可欠です。

趣味は、

社会性の

第一歩です。

堂々と、

他人の役に立たない趣味を

あなたはもっていいのです。

あなたは、

趣味を追っかけていますか?

趣味のゴールを設定しましょう。