週刊コーチングとは<18>コーチングは個人最高の安全保障

職業は現代社会において、個人、とりわけ成人が社会生活を営む上で不可欠な分野です。

ただし。
平成バブル崩壊後、間違った職業意識がはびこるようになりました。
それは、成功=金持ち という概念です。
それまでは、「カネじゃ買えない」「カネじゃ売れない」「職業に貴賎なし」という言葉が大人の口から普通に聞こえてきました。
しかし、バブル崩壊後、カネがあたかもすべての尺度のようにいわれるようになりました。
特にベビーブーマー世代以降には「やりたいことをやるために、カネが必要」「職業はカネのため」という意識が強いように思います。
もちろん、何かを成そうと思った時に「やはりカネは大事だ」と自己の体験から思うことは重要であり、資金調達(ファイナンス)は当人にとってスキルとなります。
ただ、そういった場合、「やはり」の前にはなんらかの「目的」が存在します。何か目的のために、その達成手段としてカネが必要だということです。

これは、とりわけ現代日本が資本主義社会である以上、当然生まれる認識です。
ファイナンス、つまり資本調達(カネを工面する)ことは、必要な技術です。
ただし、何か目的を達成するためには、人材やら知識やら経験やら・・・とさまざまな手段・技術が必要となります。
カネはそのうちの一つにすぎません。カネを何に変えるか、特に重要です。

とはいえ、昭和・平成・令和を経て、カネはあまねく日本を覆う社会インフラとなりました。
それは、たとえば、電気・ガス・水道が日本の津々浦々までいきわたり、道という道がアスファルト化し自動車が当たり前に普及したのと同じです。
私が生まれた1970年当時は、電気はともかく、電話がないとか、ガスもプロパンだったり、下水管が通っていなくて汲み取りカーが走り、道がじゃり道だったりが当たり前で自家用車は高級品でした。
こうした社会インフラが行き渡ることは、いいことです。
ただし、カネで買えるものが増えた分、カネにならない職業が消えていくことは本末転倒です。

職業の定義は、「個人の何らかの機能を社会に提供すること」です。
職業としての成立要件として、よく、「やりたいこと」「できること」「需要があること」の三要素が重なる部分、と表現されますが、そこに「儲かること」は入りません。
儲かるか否かは結果論です。
そして、職業をもつことにより、人は社会人として生き生きとします。
さらに、社会へ提供する機能は、年齢問わず必要です。

しかし、繰り返しますが、ベビーブーマー以降の日本人には、自分で仕事をする以前から、「はじめにカネありき」が刷り込まれてしまっているように思います。
つまり、社会洗脳です。
これは、おそらくアメリカ由来、つまり「アメリカンドリーム」の日本版でしょう。アメリカンドリームの成功とは、ずばり成金です。
いうまでもなく、ベビーブーマーは、戦後生まれ。敗戦後、アメリカ文化が押し寄せてくる中で育った人々です。もちろん、私もそのひとりです。

順番は逆で、やりたいこと・やれること・需要が先で、カネは後です。(繰り返しますが、カネが不要だとはいいません。ファイナンスつまり資金調達は大切です。)

そうした、職業観とカネ至上主義の行き過ぎが矛盾をきたすようであれば、修正すべきはカネのあり方です。
なぜならば、カネは人間社会が生み出したものであり、人間がいくらでも制度設計を変更することができるからです。

カネはあるけれどやりたいことがない、やれることがない、という体験を一度でもすればわかります。
カネがなくてやりたいことがない、やれることがない、のと同じ。
社会に対してやれることがない、やりたいことがない、というのは、すんごい孤独と自らの無用感を味わうことになります。

カネがないけれど、カネにならないのはわかっているけれど、「やりたいから、必要だから、やる」というマインド。
その基盤をつくる上で、ユニバーサルベーシックインカムの導入は一つの有効な案です。
ただ、こうした案に対しても、「そんなのムリでしょ」という最初からの「あきらめ洗脳」との戦いになります。

どんなときにも、自らの重要感とともに生きがいを持てる。
そのためには、さまざまな思い込み、つまり、洗脳を解いていく必要があります。
これは、人が幸せに生きていく上で死ぬまで必要なことです。

すべての人に、コーチングが必要な理由がここにあります。
そして、コーチングは、個人の大切な何かを守ります。